koyuki. FUJIFILM Log

富士フイルムのカメラとレンズの感想文みたいなブログ

タイトル

相変わらずお盆休みの間は仕事が暇

動画撮影の機材を色々と勉強する時間にしてる

 

あのカメラワークを再現するには…!

 

みたいなのを考えて機材探し

これもまた勉強方法のひとつ

 

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さて今日の話題「タイトル」

 

これは写真にタイトルをつけることに関するお話

 

SNSでは、特にTwitterはキャプションの重要度がバズるかバズらないかにとても影響してる…

 

とかなんとか

 

まぁキャプションとタイトルは厳密には違うのかもしれないけど

写真にタイトルをつけるというのは割と外向的な意識が強く感じるけど、タイトルをつけてみることで自身の写真に対しての意識の変化や内向的な自意識への働きかけができる気がする

写真を撮る時の被写体への意識や感情の入り方も変わるような気がする

 

道端に落ちてる片方だけの子供の靴

 

草木の絡んだサビた自転車

 

やけに綺麗なカーブミラーと事故注意の看板

 

誰かの目線から生み出されたものを自分の目線から見た時、きっと同じように見えないこともあるはず

そこに対して無意識だときっと気付きの少ない写真ばかりになってしまう気がする

 

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この写真を撮る時は

中央にある進入禁止の看板を見ていて

そこばかりに意識が向いていたので

「日常」を感じながら撮ってたわけではないのだけど

(こんなとこに進入禁止の標識あったのか…)

よーく見るとこの写真に写ってる通行人のほとんどがもうマスクをしていなくて

みんながマスクをしている非日常との対比される今があるからこそのタイトルだと思ってる

 

少しの変化、少しの違和感、少しの気付き

それがスナップ撮影の中で自分にとって大事なことだと思う

 

無意識の内に見逃している小さなものも

別の角度から見たら重要なことだったり

浅いと思ってたものが深かったりする

 

写真を撮っていてもなかなか思うようなものが撮れない時は、無意識のうちにいろんなものを見逃しているんだと思う

気持ちばかりが先走っていたり

違うことに意識が持って行かれていたり…

 

心の内側が自然と写真には出るものだと思うから、自分と向き合う時間として写真を撮るのもいい写真やカメラとの付き合い方だと思う